第103回 2回目の世界旅行C パラオ
12月10日号
  お正月休みの計画はおすみでしょうか。
 日本の伝統的なお正月は、もちろんすばらしい。慌ただしい年末、大晦日の鐘の響きから1夜が明けると、あらたまってお屠蘇とお雑煮で新年を祝い、初詣に。頬に寒気が厳しいけれど、同時に柔らかな朝日もさしてくる。少し厳粛で少し華やかな日本の新年です。「めでたさも中くらいなりおらが春」と詠んだのは、小林一茶でしたが、今年を振り返ってみれば、とてもめでたいお正月を迎えるなんて気になれない。むしろ新しい年への不安が先に立ちます。
 中でもひときわ不安をあおるのが円高ですが、たった一つ、庶民が円高で得をした気になれるのは海外旅行です。この際、エイヤッと出かけるとしましょう!「2回目の世界旅行」シリーズのナビゲーターをお願いしている内藤義夫さんにお得な情報をお聞きしました。「暖かくて不況の日本を忘れるようなところ」と注文をつけて。
 「直行便でパラオはどうでしょう」。思わず、それはいい! と大声を出してしまいました。
 パラオは、海のリゾートとして超1流といっていい。快適なホテルも揃っている。日本からは3000キロ、4時間半、時差はなし。海の美しさはもちろん、夜空を見上げれば満天の星。降るような、と形容しますが、ほんとうに光がからだに降り注いで痛いくらい。プラネタリュウムもかなわない星空です。外海は烈しいが、珊瑚礁に囲まれた内海は優しく、スキューバ−ダイビングの天国だそうです。
 行きたい人はたくさんいるはずですが、アクセスが悪かった。不定期のチャーター便以外は、グアム乗り継ぎで1泊しなければならないから、面倒で料金も高くついたのです。
 パラオ共和国は200以上の島のうち人が住む島は9。1889年、スペインの植民地となり、烈しい収奪で人口が10%まで減ったという。10年後、スペインはパラオを含むミクロネシア領地を450万ドルでドイツへ売却。第1次世界大戦のあと、日本の委任統治領となった。日本は南洋庁を置き、道路や公的施設を整備して町を作り、2万5千人が移住した。
 第2次世界大戦では、米軍との壮絶な戦場となった。美しいオレンジビーチは、日米兵の血で海がオレンジ色に染まったので、その名で呼ばれることになったという。ペリリュウ島の戦いでは、10695名が戦死した。しかし島民を戦いに参加させなかったので、パラオ人の死者は0であった。戦争のあとは、アメリカの信託統治領となり、1993年に正式に独立。初代大統領は日系のクニオ・ナカムラさんだった。
 パラオの国旗は海を表す青の地に月をイメージした黄色の丸。日の丸の色違いのようです。日本領だった名残で今でも高齢者とは日本語が通じます。人口は2万余。通貨はアメリカドル。
 直行便を多数運行するのはポルトガルのHIFLY航空だそうです。なぜポルトガルが、と不思議ですが、それにしても日本航空はどうなっていくのでしょうか。「地方にやたらに空港を作って無理に飛ばせば、いずれこうなることは当然です。しかも赤字空港はまだ出来てきます。3月11日オープンの水戸空港はアシアナ航空の週2便しか決まっていません。売店のテナントも応募ゼロです。どうするんでしょうか」JALのOBでもある内藤さんは、年金問題もさることながら、「仕分けでビジネスクラスの利用が問題になりましたが、みんながツアー料金で行くようになったら、旅行代理店は相当な痛手です」と正直な感想。その分、ツアーにしわ寄せなんてことになりませんように。

写真 パラオの言語はパラオ語とフリッピン語と英語。高齢者は日本語を話す。

「パラオ4,5,8日間」は、106,000円から。
問い合わせはJCツーリスト 03−5348−6211(内藤)まで

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