第93回 みんなで貧乏になろう
7月10日号
  秋田県大館まで、新幹線「はやぶさ」を盛岡で花輪線に乗り換えて約5時間半の間、白石一文さんの新著「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」を読みふけっていました。これは下巻で、上巻を昨夜ほとんど徹夜で読み、電車の中では眠る予定だったのですが・・・。
 白石さんは、いま、われわれは最も生きにくい時代を生きているのだ、と思い知らせることから始めます。様々な文献、資料、ニュースまでも縦横に使いこなして、時代にあいた深いクレバスを描いていきます。たとえば、「ウオルマートは80万人を雇用するアメリカ最大の企業である。2005年その会長リー・スコットの給与は2300万ドルで、(中略)従業員の平均は年1万8千ドルである。」つまり格差は1200倍まで広がっていることを教えてくれる。因みに2300万ドルは1ドル100円計算で23億円です。
 主人公は、生きにくい時代の最も生きにくい者、がんに冒された男です。前作までも、経済破綻した男、会社の人事に巻き込まれる男、彼らに愛され、裏切られ、裏切る女たち男たちが登場します。村上春樹よりも激しく読者に襲いかかってきます。
 大館行きの仕事は、「花岡事件」に取り組む陶芸作家の関谷興仁さんを取材することでした。関谷さんに従って「中国人殉難者慰霊式」や事件の跡をたどるフィールドワークに同行しました。花岡事件はご存じの方も多いと思いますが、慰霊式の大館市長小畑元氏の式辞によると、「64年前、多くの中国人の方々が、遠い異国の地であるここ花岡に強制的に連行され、土木工事などの過酷な労働で悲惨な待遇にさらされ、147名がお亡くなりになりました。更に、生きるためにやむなく蜂起したことにより282名が犠牲となり、合わせて429名の方々の尊い命が失われ」た事件です。
 日本政府は、太平洋戦争末期に、中国から約4万人を連れてきて、全国各地の鉱山など過酷な労働に就かせました。経団連もうらやむ究極の安値の派遣労働力だったといえます。64年たったいまも、花岡以外は謝罪も補償も和解も出来ていません。あの西松建設が、今年、謝罪したとかいう報道がありましたが。  現地フイールドワークでは、労働者の宿舎だった鹿島建設中山寮や、反乱者たちが逃げ込んだ獅子が森、捕らえた中国人を3日間露天で飲ませず食わせず縛ったまま放置して100人を殺した共楽館跡などを訪ねましたが、見事に跡形もなく気配もなく、「だいたいこのあたり」というありさま。地元の人にとっては忌まわしい記憶でしょうが、これでは隠蔽工作としか思えません。広島・長崎が戦争の犠牲のモニュメントだとすれば、花岡は加害のそれでなければならないと思います。ドイツがアウシューヴッツやダッハウの収容所跡を消し去ることなく、加害の苦渋の記憶の場所として残していることに学ぶべきだと思いました。 白石さんの世界へ戻ります。
 「世界が100人の村なら」によれば、半分の50人が栄養失調に苦しんでいます。70人が文字を読めず、大学の教育を受けているのはたった1人にすぎません。100人のうちの6人が、世界中の富の59%を所有し、その6人はすべてアメリカ国籍です。・・・・
いつまでこんな不公平が続くのでしょうか。
 「アメリカの最高所得税率は現在35%ですが、(中略)ルーズベルト政権は、それまでの24%から一気に63%まで引き上げ、政権第2期には79%にしたのです。・・・・1950年代になると、冷戦の戦費負担もあって、最高税率は91%に伸びています」
 格差は急速に改善されました。レーガンの時代までは。  生きにくい時代を過酷に生きている人たちは、「みなが豊かになる世界」など、端から信じていません。富裕層も中間層も、みなが貧乏になることを覚悟しなければ、世界は壊れてしまうと思っています。  イタリアサミットでは「みんなが貧乏になろう」と、宣言してほしかったのですが・・・。

写真(上)「中国人殉難者慰霊式」に訪日した殉難者の子、宋明遠さんは慰霊碑の前で号泣した。左は同じく訪日した殉難者の孫、周長明さん。
写真 (下)白石一文著「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」上・下(講談社刊)
オリンパス E−P1  ズイコーデジタル 14-42ミリ

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