第82回 沖縄から希望が・・・
1月10日号
 あけましておめでとうございます。
 今年も沖縄・八重山から、新年のご挨拶をさせていただきます。
 沖縄と宮古・八重山をつなぐ琉球弧列島は、ぼくにとって特別な場所です。
沖縄へ最初に行ったのは、沖縄返還の前日の1972年5月14日でした。夜12時の復帰の瞬間を那覇の街角で迎えました。それを機に沖縄の歴史や文化を少しづつ学ぶことになりました。日本と清国の事実上両属だった琉球王朝時代。王朝が廃止されて沖縄県となった1879年の琉球処分。過酷な重税に苦しむ時代のあとは、太平洋戦争の戦場と化す。1945年からはアメリカ統治となり、25年後にようやく日本へ返還されたのでした。返還に当たっては、総額3億2千万ドルの支払いや核兵器に関する密約が問題になりました。
 沖縄の歴史は日本の近代化の歴史の最先端の、最も熱い炎を押しつけられ、傷つけられてきた歴史ともいえます。
それからの沖縄行きは、民俗学の泰斗谷川健一先生の著作が唯一の指導書兼案内書となりました。先生は「民俗学が〈小さき者〉の世界を相手にする学問であることに共感」し、最初の探訪地に「宮古島とその南に連なる八重山」を選ばれました。
「自分の中の余剰物を取り除きたい衝動をもって先島に始めて触れたとき、私はいままでにない喜びが心に沸くのを覚えた。」と『小さき民の言葉』(岩波書店)の序文に記されています。
重層の扉を次々に開きながら、未知の世界を示していく谷川先生の美しい案内に従って行く沖縄・八重山の旅では、自然と人間を愛しいと感じる自分に気づくのです。美しい浜辺に立って海が空と交わる先を見つめるとき、ニライカナイへのあこがれを抑えることが出来ません。
豊かな世(ユ)をくれるニライカナイは、同時に祖霊のいるところ、死者の行くところと教わりました。
さて、2009年はかつてない苦難が私たちを待っているような報道ばかりですが、とてもうれしいお知らせがあります。2007年5月15日号で、沖縄の写真家、平敷兼七さんの写真集「山羊の肺」(影書房)をご紹介しましたが、その作品が、昨年暮れに「伊奈信男賞」を受賞しました。復帰のころから沖縄の日常や基地の女たちを撮り続けた写真を、24歳の学生の中条朝(はじめ)くんが写真集にまとめ上げたものです。喧噪の基地の被写体が静かに私たちを見返す写真集です。
お祝いの席で、中条君は「賞金の半分をいただきました。おかげで結婚式を挙げることができました」と報告。大きな拍手に包まれました。平敷さんは、副賞の最高級デジカメを、「アルバイトばかりさせていた娘にプレゼント」したそうです。平敷さんは今でもアナログ・モノクロの人なのです。
沖縄を思うとき、かすかな生きる希望が沸いてきます。

写真上 与那国島の「玉振り」で。玉振りは魂の震えのことだという。
写真下 伊奈信夫賞受賞パーティ会場で、平敷兼七さんと中条朝さん。
平敷さんのカメラを借りて撮った。カメラにはモノクロのフイルムが入っていた。3枚撮ったうち、ピンボケだが一番楽しい写真がこれでした。

ライカM−4 ズミルックス50ミリ F1.4
コンタックス G1 カールツアイス 28ミリ F2.8

close
mail ishiguro kenji