第78回 ニコラ・バタイユ氏と加賀まりこさん
11月10日号
去る10月30日の夕刊各紙は、ニコラ・バタイユさんの訃報を伝えた。社会面の決して小さくない記事で、「28日パリの自宅で大腸癌のため死去。82才だった」と。
 ニコラ・バタイユさんって、誰? 多くの、特に若い人は知らない名前かも知れない。が、「三年間の日本滞在中に寺山修司ら演劇人と交流を深め、日本でも『夏』『15の未来派の作品』などを演出し、69年に紀伊国屋演劇賞受賞、01年には勲四等旭日小授賞を受賞」(毎日新聞)と知ると、演劇好きの人なら、きっと思い出されるに違いない。さらに、NHKのフランス語講座を担当した」といわれれば、記憶を新たにされる方も多いだろう。
 今日は、新聞の伝えないもう一つの隠れたエピソードをお伝えしたい。
バタイユさんが来日したのは、座長をつとめているパリの小劇場演劇の中心『ユシェット座』の日本公演のためだった。 滞在中に、『アンダーダーグラウンド蠍座』のプロデューサー葛井欣士郎さんから1968年1月公演のロマン・ヴェンガルテン作『夏』の演出を依頼される。『蠍座』は、新宿文化劇場の地下に開場した客席80ほどの小劇場である。小劇場はいまでは下北沢などに珍しくはないが、俳優の吐く息も間近に見える、独特の演劇空間として、本格的な設備を持ち、時代を色濃く映した前衛的な作品を連続公演する劇場としては、おそらく日本で最初の小劇場だった。
 1968年は、東大安田講堂占拠、新宿動乱など、特別の年だったことも忘れてはいけないだろう。パリ五月革命もこの年だった。
当時、新宿は、唐十郎の赤テント、新宿文化劇場の深夜演劇公演に若者が作る長蛇の列が、連日、劇場を幾重にも取り巻くほどの熱気に満ちた街だった。
『夏』は「主役の少女を『禁じられた遊び』のブリジット・フォッセイが演じたと言うことも興味をそそるに充分で、早速、思春期の少女ロレッタ役の女優さがしが始まった。」(葛井欣士郎『消えた劇場・新宿文化』より)「幾人かの候補者をあげニコラに引き合わせたが、「ノン!」の連続。肩をすくめ「クズイサーン、アノヒトダメ、カワイクナイ、ロレッタデハナイ」と辛らつな批評と共にキャンセルされた。」
 せっぱ詰まったとき、ついに「クズイサン、ロレッタガイタ!」と感嘆の声を上げさせたのが加賀まりこさんだった。」(同「花ざかりの交友録」より)
加賀さんは「六本木野獣会」のメンバーだったころ、篠田正浩と寺山修司にスカウトされた。映画デビューは篠田監督の「涙を獅子のたて髪に」で、浅利慶太の「オンディーヌ」にも抜擢された。浅利さんは『夏』のパンフレットに「これから先、本物の女優になるかどうかが彼女の冒険である。今度の仕事はそのスタートラインになる。魅力的な、我が儘な、気まぐれな才能が女優の次の季節をどうこなすか楽しみなことである」と寄稿した。
加賀さんはバタイユという冒険に挑んで、本物の女優として大きな波に乗ることになった。

写真上 1968年、新宿の「アンダーグラウンド蠍座」にて。ニコラ・バタイユ演出「夏」のパンフレットのための撮影。
写真下 同・右から加賀まりこさん、ニコラ氏、共演の山口嵩氏。

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