第74回 ほほえみの国の戒厳令
9月10日号
 もし、将来、心ならずも自分が何か悪いことをして日本にいられなくなった時、または何かのトラブルに巻き込まれて追われる立場になった時、そのときは、最後の手段としてタイに逃げようと思う。酒の席などでそんな冗談を言うと、驚いたことに多くの人が、その通りだ、ぼくもそうする、というのです。タイは困り果てて行き場のなくなった者にも優しい微笑みをくれそうな気がするからです。
 人間の業のすべてがタイでは許されるという幻想があります。人口6300万人の95%が仏教徒で、異国から来たすさんで傷ついた心も温かく抱きとめてくれそうな幻想です。
 仕事仲間の映画プロデューサーが、破産に追い込まれて、一時、行方不明になり、友人たちで探したが分からない。新宿で惨めな姿を見かけたとか、日比谷公園でホームレスになっているとか、いやな噂もありました。が、ある時、ネットに写真が送られてきました。少し太って元気そうで、いい笑顔で写っているではありませんか。タイの地方で日本語の先生をしているとのこと。ほっとして、さすがタイ国だ、と話し合ったものでした。
 タイ王国で感心するのは、国王のラーマ9世プーミポン殿下が圧倒的な国民の人気があって、首相など時の権力者も国王の前では膝まずいてお言葉を聞き、絶対的に従う、そんな情景の写真を見たときです。一国の最高権力者を諭す存在。タイのこの慣習には、東洋の叡智のようなものを感じるわけです。
 しかし1900年代の終わりに、ヘッジファンドの跳梁によって通貨危機を招き、ついでIMFによる救済という収奪を経験して、タイは変わったようです。2006年のタクシン首相と反タクシン派の抗争。タクシン首相は亡命。タイではタクシン氏の不正な土地買収疑惑の告発。最高裁で係争中の弁護士の200万バーツ入り菓子袋の買収事件が報道されて騒がしいが、タクシン氏は亡命先のイギリスでサッカーチームを買ったりしている。軍事政権から2008年1月にはふたたびタクシン派のサマック政権が誕生しました。
 その間に、国王の前のひざまづきは、あったのでしょうか。
 そして8月26日、反タクシンの市民民主化同盟のデモ隊はサマック首相の退陣を求め、国営テレビ局、首相府を占拠、座り込んだ。タイ国鉄はストライキを続けている。
 座り込みのデモ隊のまわりに屋台が出来たり「肩もみ屋」が出現したころまでは良かったが、 9月2日、親政府市民団体との間で衝突が起き、死者1名、負傷者40名がでた。サマック首相は首都バンコクに戒厳令を発令。・・・これが現状のようです。
 日本とタイ王国は昨年修好120年を迎えたのですが、かつての幻想は甘すぎる妄想に過ぎなくなったようです。
 もしあなたが追われる立場になったとき、現在のタイへ行きますか?
 われわれは、すでに、ついの行き場を失ってしまったのでしょうか。。

写真 エメラルド寺院の僧侶たち
写真小 現世利益を願う人たちに、金箔を張り付けられた仏像。

ライカ M−4 ズミルックス50ミリ F1.4

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