第70回 ブラジル サルバドルの「フィーリング」
7月10日号
ブラジルの東北、バイア洲の州都サルバドルは、ブラジル最初の首都で、1763年にリオ・デ・ジャネイロへ移るまで200年の間続きました。サルバドルとは救世主つまりキリストのことだそうです。1985年には世界遺産に登録されました。(現在の首都はブラジリア)
 サルバドルは、奴隷貿易の中心として栄えました。いまでも奴隷をセリにかける台座が残ってます。
上の町と下の町があり、上は大聖堂や官庁、下はマーケットやレストランなど庶民の町でした。上下の町を24時間稼働の巨大なエレベーターがつないでいます。
ある夜、上の町のホテルから、エレベーターで下の町のレストランへ行ったときのことです。バイヤ料理は楽しみの一つでした。レストランには小さな舞台があり、背丈ほどもある弓の形の楽器を持った男がリズミカルな曲を奏でていました。弓のような楽器は、いったんことあれば、ほんとうの武器として敵を射る、と知ったのはもっと後のことでした。アフリカから連れてこられ売られた奴隷たちも、過酷な労働の限界を超えれば反乱を起こすこともあったのです。 食事も進み、ピンガの酔いも深くなってきたころ、年老いて痩せた黒人の男がギターを持って登場し、目を閉じ、顎をあげて静かに歌い始めました。ポルトガル語なのかアフリカの言葉なのか分からなかったが、曲は、聞いたことがある。思い出せば、ハイファイセットが歌って日本でも大ヒットした「フィーリング」ではありませんか。日本ではなかにし礼が作詞して「ただ、一度だけの戯れだと知っていたわ・・・」。甘い歌が耳の奥に残っています。
 なんだ、ここでは今ごろ流行しているのか、と吹き出してしまいました。どこの観光地も同じだな、と。
汗びっしょりでステージをおりてきた老人をつかまえて、声をかけたのはブラジル焼酎ピンガのせいでしょう。以下は、友人の通訳で交わした会話です。
「いまの歌だけど、フィーリングだよね」
「いいや、違うね」
「・・・?・・・フィーリングって曲が世界中で流行したことが・・・」
「知っているさ」
「いつから唄っているんですか?」
「ずーっと昔からさ」
「・・・なんて唄っていたの?」
 老人は口すざんだ。「海で死ねたら幸せ・・・」と。そして目を上げてしっかりと「この唄は海の奴隷たちの唄でさ!」
 漁業はかつて最下層の危険な重労働でした。
世界中を風靡した「フィーリング」は、ブラジル出身のシンガーソングライターのガスパール・デ・レモスがバイア地方で採取した奴隷の曲だったと知ったのはそのときでした。
さて、フェイジョアーダです。レストランで注文すると、テーブルには4つの皿と1つの壺が並びます。4つの皿は、黄色いマンジョカの粉、米を煮たもの(つまりご飯)、野菜とコウベマニテーガ(バターのようなもの)、これはフェイジョアーダのときしか食べません。4つ目はオレンジ、食後の果物です。小皿はモーリョという香辛料。そして壺の中味がフェイジョアーダです。(先号の写真参照)
豚の料理の残りもの、耳、皮、鼻、爪、尻尾など何でもかんでも、フェージョンプレット(黒豆)と一緒に、きつね色に炒めたニンニクを加えて長時間煮たもの。イカの墨煮のように真っ黒で、強烈な匂いがするが、すこぶるうまい。究極の奴隷料理です。貴方もいかがですか?

写真  サルバドルの下の町では、美しい黒人の女性が揚げパンを売っている。甘いのと辛いのがあり、うっかり辛い方を頼むと口が大火事になる。

ライカ M−3 ズミルックス50ミリ F1.4

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