第69回 ブラジル フェジョアーダは土曜日に食べる
6月25日号
6月18日(日本時間19日)皇太子殿下は、ブラジル連邦議会の移民100周年記念式典に出席された。傍聴席には式典の演奏に合わせて、君が代を歌う着物姿の日系人が多数見られたという。
作家で、サンパウロの「ニッケイ新聞」東京支社長を兼ねる藤崎康夫さんは、「明治政府は、経済が緊迫化するなか、労働力を求める外国への移民を進めたのです。
1885年にはハワイ移民600名の募集に約2万8千人が集まった。移民からの本国送金は貴重な外貨でした。しかし、日本の移民政策は成功とは言えず、満州移民などは悲惨な結果となりまた。ブラジルは移民たちの努力もあって最も成功したといえるのではないでしょうか」と語る。 第1回の笠戸丸から、移民は25万人に達した。いずれも苦難の生活を強いられてきた。
移民たちは、自分たちのことを〈棄民〉と俳句に詠んだ。(先号参昭)しかし、「関東大震災の時には、いち早く祖国の災害を見舞って2万枚の毛布を送ってきました。彼らは母国のピンチのときには、立ち上がるのは日本人として当然、という移民の誇りを持っているんです」
現在、ブラジの日系人は150万人といわれる。1世は10万人を切り、日本語を話せない3世、4世が大半を占める。かれらは、ブラジルの大地に根を下ろし、世界へ、日本へ旅立とうとしている。
ブラジルの魅力は、すべてが若々しいこと。力のみなぎった大地。明るく若々しい人々。みな訪れる人を元気にしてくれる。
1502年、ポルトガルの探検家ガスパール・デ・レモスが大陸を発見。深く長い湾を川と間違えて、リオ・デ・ジャネイロ(1月の河)と名付けたという。発見された原住民の方は迷惑だったろうが、以来ブラジルは移民の国となった。ネイティブの人とヨーロッパ人の混血のミルクチョコレートの肌の女性の美しさは較べるものがない。
移民と関係があるのかどうか、昔から、ブラジルでは、1週間の食事のメニューが決まっていた。月曜日はビラードパウリスタ(豆をつぶして練ったものとバナナのフリッター)、火曜日はハバータ(牛のしっぽで作ったもの。トマトソースで食べる)、水曜日と土曜日はフェイジョアーダ、木曜はマカロナータ(牛の胃袋と白豆のパスタ)、金曜日はバカリョアーダ(干し鱈の料理)、日曜はシュラスコなど(特に決まっていない)。
厳格ではないが、いまでもこのメニューの規則は活きている。もし、ブラジルへ旅行されて、レストランでフェイジョアーダを注文しようとしても、食べられるのは水曜か土曜日だけだ。
このフェイジョアーダとはどんな料理なのか、究極の奴隷料理だと思うのだが、次号でご紹介します。

写真大  リオデジャネイロのイパネマ海岸で。
写真小  土曜日のレストランで「フェイジョアーダ」を食べる紳士

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