第66回 五木寛之さんと「凄春」
4月25日号
 五木さんの大河小説「青春の門・放浪編」が劇化され、3月末に池袋の「あうるすぽっと」で上演されました。このところ舞台といえば軽い芝居ばかり、神経をくすぐる程度の冗談めいた喜劇が流行で大いに不満でしたが、久しぶりに重い、筋金が入った芝居に出会って堪能しました。
「青春の門」といえば、1969年から書き始められ、現在第8部「風雲編」で中断していますが、ずっと週刊現代で断続的に掲載されてきた巨大長編です。第1部「筑豊編」第2部「自立編」は、度々映画化されてきました。1975年と77年に浦山桐郎監督で、主演は田中健と大竹しのぶでした。1981−2年には蔵原惟繕監督と深作欽二監督で、佐藤浩一と杉田かおる。その他秋吉久美子やテレビでは渡部篤郎が演じた、この俳優陣をみても、いかに原作が魅力的な物語か、分かろうというものです。ところが、なぜか第3部「放浪篇」からは映画にもテレビにもならないままでした。
初めての舞台化を企画したのは、北九州芸術劇場です。「鉄の街として栄華を誇ってきた北九州が製鉄業衰退の後、文化の街づくりをめざし、(中略)筑豊で生まれ育った九州人が主人公である青春の門・・・・」(企画書より)
脚本・演出の鐘下辰男さんは、十代のころ「青春の門」を読んで、「これは親の前で読んじゃいけない本だと思った(笑)」と言います。
 五木さんは舞台化の記者会見で、「私は青春のころはもちろん、人が生きていくことそのものが旅=放浪だと考えています。(中略)『青春の門』の主人公・伊吹信介はまさにこの人生の放浪者で、筑豊という故郷から旅立ち、世界を放浪し、旅を続けていく。・・・・」(パンフレットより)といっています。
「暗愁は時空を越えて−五木寛之紀行」(響文社)の中で斉藤慎爾さんは、「あえていえば、五木さんの作品はすべて青春を主題に据えているといっても過言ではない。氏ほど真摯に青春と対峙している作家も稀である。若い読者から年輩に至るまで幅広い支持者のいるゆえんもそこらにありはしないだろうかと書いています。
 五木さん自身の青春も凄まじいものでした。ピョンヤンからの引き揚げ。早稲田大学時代には、神社の床下で寝て、「売血所に通い涙と一緒にパンを呑み下した生活」を送ったこともあるそうです。「五木さんは『青春を凄春と書くことを好む』とあるところでいっているが、青春という固有の時間のもつ情熱、悲哀、倦怠、感傷、絶望、逡巡といった主調音を考えるとき、なるほど凄春という文字を当てるのがふさわしい気がしてくる」。
舞台から伝わってくるのは、痛ましい「凄春」でした。残念なことですが、北九州芸術劇場で5日間、池袋で3日間の公演だったので、現在観ることが出来ません。再演を願って待つことにしましょう。

写真 「青春の門・放浪編」の舞台から

オリンパスE−3 ズイコーデジタル50−200ミリ

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