第65回 五木寛之さんと「遠くへ行きたい」
4月10日号
 TVの「遠くへ行きたい」が、今年1900回を迎えたそうだ。この稀にみる超・長寿番組は、タイトルになったヒット曲の作詞をした永六輔さんが最初の案内役だったが、後に、いろんな俳優、文化人が旅人として登場することになった。そのきっかけになったのが、当時、流行作家(なんと懐かしい言葉だろう!)として華々しい存在だった野坂昭如さんと五木寛之さんだった。
「遠くへ行きたい」の初期のタイトルバックに写真が使われた縁で、ビデオ撮影を担当することになり、いきなり五木さんの旅に同行することになった。最初は、「長野軽井沢編」だったように記憶している。五木さんに最初にお会いしたのもこの時だったと思う。
1966年、「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞を受賞された五木さんは、当時の若者に圧倒的に支持される作家として、マスコミの寵児でもあった。いまと違って雑誌などが中心だったが、TVも放ってはいられなかったのか。人気作家を起用するきっかけを作ったのはテレビマンユニオンという、新しい制作集団だった。
五木さんは、軽井沢・晴山ホテルのレストランでボーイのアルバイトをしていたことがあると聞いて、お願いして、ボーイの制服を借りて着てもらって、ケーキと珈琲を運ぶシーンを撮影した。レストランのテラスだった。客の役はアシスタントの若い女性がつとめたが、彼女は、あまりの自然な演技にぞっとするほどだった、と後で言っていた。
問題はこの後だった。撮影したビデオを東京に帰って試写を見る。五木さんはひどく気に入らないようだ。五木さんは当時から今に至るまで、「映像としての五木」を書かれたものと同じくらい大切にされている。そのため、写真にうるさい、などと言われたりもするが、カメラマンとしては嬉しいような、ちょっと緊張もするのだ。
 軽井沢の五木さんは、原稿の締め切りに追われ、一睡もしないままの撮影だった。頬に疲れが出ていたとしても仕方がなかった。とりわけ、五木さんは端正な男前で、今でいうイケメンで、本を読まない女性にも人気があったくらいだから、お気に召さなかったのも無理はない。
 不機嫌な五木さんに、「作家はしわですよ」と僕は言った。どうしてこんなことを言ったのか、いま思い出しても冷や汗がでる。若気の至りというものはおそろしい。こちらもカメラマンだ、映像作家だ、みたいな気負いがあったのだろうか。ただちに追放されても仕方がなかった。
それからだった。しばらくして、いろんな雑誌や単行本のグラビア撮影の依頼が続いた。 被写体はすべて五木さん。五木さん自身から名指しの仕事だった。撮影現場でカメラの前に立ってくださっても、何もおっしゃらなかったが、ありがたかった。
次回は、最近劇化され上演された「青春の門・放浪編」について。

写真上 「遠くへ行きたい」ロケ先で。(「暗愁は時空を越えて」より)
写真下 斉藤慎爾著「暗愁は時空を越えて−五木寛之紀行」(響文社1500円+税)の表紙

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