第57回東松照明[Tokyo曼陀羅] 平和について考える
12月10日号
「・・・写真家は、医師のごとく治療するでなく、弁護士のごとく弁護するでなく、(中略)落語家のごとく笑わせもせず、歌手の如く酔わせもせず、ただ、見るだけだ。それでよい。いや、それしかない。写真家は見ることがすべてだ。だから写真家は徹頭徹尾見つづけねばならぬのだ。対象を真正面から見据え、全身を目にして世界と向き合う、見ることに賭ける人間、それが写真家なのだ。」
  これは、写真家・東松照明さんが、1975年に写真集『太陽の鉛筆』(カメラ毎日別冊)の中で書いている言葉である。当時これを読んだ筆者は、高圧の電流に打たれたような衝撃を受けたものだった。自分は演出するカメラマンをめざしていたが、それにしても、今まで何を見ていたのか、ぼんやり眺めていただけで実は何も見てこなかったのではないか。ある時は現実から目をそらし、ある時は見て見ぬ振りをしていなかったか、自問したものだ。
  東松照明さんは、1930年、名古屋市生れ。54年、愛知大学を卒業後、上京して岩波写真文庫のカメラ・スタッフとなる。前年にNHK東京テレビ局が放送を開始したころだったから、岩波写真文庫は映像関係の花形文庫だった。が、わずか2年で退社、フリーになる。72年に沖縄へ移住。87年には千葉へ、さらに99年には長崎へ。現在は長崎を拠点に沖縄へいったり来たりだという。なぜ移住をくりかえすのかときくと、「その町にこだわると、住む。惚れた女の元へ引っ越すのと同じ」と答えは明快だ。
  今世紀になって、東松さんは、自分がこだわった土地をキイワードに「長崎マンダラ」「沖縄マンダラ」「京まんだら」「愛知曼陀羅」と展開してきた。その最後を飾る「Tokyo曼陀羅」が恵比寿の写真美術館で開かれている。1950年代から90年代の東京と関東一円を撮影した膨大なネガから、未発表のものを含めて選び直し、307点を展示する文字通りの集大成だ。「ズームレンズがなかったころ、28ミリのレンズでアップを撮ろうとすれば、30センチの距離に近づく、相手の匂いがする。いま写真を選ぶと、どうしてもアップが多くなる」
   50年代に米軍基地の周辺を撮った「占領(チューインガムとチョコレート)」のシリーズがとくに面白い。まさに「対象を真正面から見据え、全身を目にし」た写真で、シリアスだが爆発するようなユーモアがある。庶民の哄笑が聞こえてくる。 東松さんは89年に心臓のバイパス手術を受け、(その際に使われたに違いないフィブリノゲン製剤の影響か)C型肝炎にも冒され、入退院を繰り返しながら「写真に関わらない日は1日もない」日を送っている。フイルムのスキャンやプリントのオペレーターは夫人がつとめている。撮影は、「いまは100%デジカメだ」という。
  曼陀羅は、世界観のことでもある。12月8日の開戦記念日を前に、「Tokyo曼陀羅」を見ながら、占領のない、平和な世界について考えた。
 

写真 写真展会場でTVの取材を受ける東松照明さん。
[Tokyo曼陀羅]展は12月16日まで東京都写真美術館(恵比寿ガーデンプレイス内 tel:03-3280-0099)にて。観覧料一般800円 学生700円 月曜(月曜祝日の場合は翌日)および12月29日から1月3日まで休館

オリンパスE‐510 ズイコーデジタル14‐52ミリ

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