第52回 つゆの濃いのは江戸の味 吾妻橋やぶそば
9月25日号
 作家の常磐新平さんの撮影に南つくし野のお宅に伺ったときのことだ。常磐さんといえば、「アメリカン・ジャズ・エイジ」や「ニューヨーク五番街物語」などで知られる、今風に言えばカッコいい作家だったから、さぞかし生活も食事もすべて洋風・アメリカナイズされたものだというイメージがあった。先入観に狂いはなく、引っ越されて間もないお宅も、モダンでシックなたたずまいだった。奥さまも現代的な美しい方だった。撮影後、雑談が食べものの話になり、ランチにはシャンパンにハンバーガーというおしゃれ派かと思いきや「そばが最高!」ということだった。イメージとのギャップに、ついうれしくなった記憶がある。
  そのとき「おらが蕎麦屋」として、わざわざ名刺の裏に書いてくれたのが「吾妻橋やぶそば」だった。「ここの蕎麦は、良いからね」と念を押された。
  さっそく訪ねてみた。地下鉄を浅草で降り、吾妻橋を渡り、あの雲古ビルの先に確かにお蕎麦屋さんはあったが、「本日休業」の札。残念。しかし、めげずにもう一度出かけた。今度は「売り切れました」とある。わがままなお蕎麦屋さんだナー、さすが新平先生好みか、とちょっと恨めしくなったものだった。
  ようやく3度目、機会を見つけて今度こそと訪ねた。特別な蕎麦ではないけれど、素朴な風味が活きていて、つゆも関西系の筆者には濃すぎたが、深い味わいは理解できた。
  それ以来、新蕎麦の季節になると、常磐先生と「吾妻橋やぶそば」のことを思い出す。
  今度、取材に伺って、店の入口近くで撮影していると、帰りがけの客が、「上手に撮ってあげてね。ここの蕎麦は、良いからね」と声を掛けてくれた。どこかで聞いたセリフだな、と思ったものだ。客は引きも切らない。
   梅岡二郎さんは、盛岡出身。神田薮そばで修行の後、35才でここ吾妻橋に店を開いた。以来23年、すっかり江戸下町の蕎麦屋になりきって、地元の人たちに愛されている。
  砂場、更科と並んで歴史のある「薮そば」だが、神田やぶ、並木薮蕎麦、池之端薮蕎麦を「薮御三家」というそうだ。そのうち、神田やぶは 江戸時代から続いた根津団子坂の「蔦屋」を、堀田七兵衛という人が譲り受けたのがはじまりとか。明治13年というから、一〇〇年の歴史である。その神田やぶ出身の店で作っている「薮睦会」の中には、薮砂を名乗る店もあり、堀田七兵衛が砂場出身だったとか、なかったとか、ちょっとしたミステリーでもある。
  この機に、素朴な疑問を聞いてみた。「薮は、作ってすぐに食べる蕎麦で、だから店で食う。更科は作ってしばらくしてから食べるのが旨いので、出前によい。というのはほんとうですか?」梅岡さんの答えは、「初めて聞いたよ。蕎麦は店で食うのが旨いに決まってるよ」。もう一つ。「薮系のつゆは、今では濃すぎるように思いますけど」。「これより薄かったら、江戸の味じゃなくなっちゃうよ」。やぶそばは、つゆにたっぷり浸して食べる蕎麦ではないことは分かったが、落語の、蕎麦通が臨終に「一度つゆをたっぷり付けて食べてみたかった」というのは、あれは何そばだったのか。
 

写真上 吾妻橋で23年、「吾妻橋やぶそば」の梅岡二郎さん
写真下 薮の店独特の芝エビのかき揚げを添えた「天せいろう」1,400円。 ほかに せいろう550円 鴨せいろう 1,300円など。酒550円、ビール(大)650円。墨田区吾妻橋1-19-11 tel:03-3625-1550 火曜および第3水曜休み
オリンパスE−410 ズイコーデジタル14−42ミリ

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