第51回 料理人木澤保宏語る 包丁はいのち
9月10日号
「包丁は料理人にとって、武士の刀とはいわないけれど」と言って、木澤さんはちょっと悪戯っぽい眼をした。「カメラマンのカメラみたいな、ね、そうでしょ」その通りだと思う。包丁もカメラもキレが第一。それに武士が銘刀を欲しがるように、伝統と最新鋭の技術でつくられたというブランド品を持てば、自信もつくというものですよ。木澤さんはうなずいた。「料理人は修業時代から少しずつお金をためて、一人前になる時にこれぞという包丁を買うんです。当時、中華包丁は2万5千円位した。職人にとって、半端な金じゃないんです。買うと、研いだ後は、雨の日にはサラシで巻いて井戸の上につるして置くんです。
  ある時、下北沢で中国物産展をやっていて、冷やかしに行ったら、包丁が並んでいる。1本づつ爪ではじいていったら、中に、ピィーーンといつまでも余韻が響く1本があった。買いましたね。有り金はたいて。(笑)
  包丁は、特に中華のようにでかいのは、使いながら研いでいく内に切れるところと切れないところが出てくる。よく見れば、刃が波打っているんです。こんなのはピィーーンなんて言わない。だから、そりゃもうシメタと思いましたよ(笑)。ダメ包丁にぶつかったら、料理人の情熱のくじけは激しいものがありますよ。カメラマンもそうでしょう」
   中華包丁はご存じのように、この大きなもので、全部やる。日本では出刃とか、刺身とか、菜切りとか使い分けますが、中華は鶏の骨をぶった切るのも、エビの背ワタを取るのも全部1本です。和は引きますが中華はおろす。豆腐なんか置いただけで切れる。(笑) 筆者の親しい友人がアメリカに住んで、2世の女性と結婚した。その夫人が日本へ来て、少し怪しい日本語で、ツキジへ連れて行けという。帰国する日の朝だった。築地へ行くと、かれいの一夜干しを買った。今日の夕食のメインだという。日本のはかおりがいいと言ってわさびも買った。最後に包丁の店を探してくれという。
   全部まで聞かないうちに、木澤さんは感嘆の声を上げた。「凄い! 素晴らしい女性だナー。まず一夜干しのかれい。その日のロスの夕食の楽しさが想像できる。帰国記念晩餐会だね。そして、包丁はちゃんと日本ものが1番だと知っているね」。ほめちぎった。「ドイツのゾーリンゲンだって、日本刀はなぜ切れるのか研究したんですよ」。
  日本の包丁は、アメリカではじめ不評だった。「骨を切ったら刃が欠けるじゃないか、って。かれらは、菜切り包丁で骨でも何でも切るんだから(笑)。三條燕市の産地では研究を重ねて、1本の牛刀で骨も肉も葉っぱも切れる包丁をつくったんですよ」。
  そこで、一般家庭のわれわれが使うべき包丁のお勧めを聞いた。燕市のグローバルの、牛刀と小刀(ペティナイフ)、それに研ぎ器の3点セットが良いとのことだった。
   木澤さんは、しきりに燕市などを襲った地震を心配した。「頑張って作って欲しいですよ。ずーっとね。世界一の包丁なんだから」
 

写真 木澤さんは、次々包丁を出して見せてくれた。(世田谷の自宅にて)
オリンパスE−510 ズイコーデジタル14−52ミリ 

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