第50回 料理人木澤保宏語る 痛快! パリ料理修業
8月25日号
 木澤さんは今考えると、子供のころから料理が好きだったんだ、と思う。家庭科の授業で作ったカレーがまずいので納得いかず、友人4人を誘って、放課後、材料を仕入れて調理室へ忍び込んで作り直した。うまかったが、怒られて立たされた。(笑)
 学生時代は、法政大学の国文学会の委員長として、学生運動の先頭に立ったこともある。その後、出版関係に進んだ。ある時、編集プロダクションで、「日本の酒とつまみ」というムック本を手がけた。当時はまだ日陰者だった焼酎を、一般に認めさせたい、と燃えたもんです。醸造研究所に籠もって日本の酒の歴史を調べ、32種あまりの焼酎のサンプルをビーカーにとって研究した。研究といっていろいろ飲んでみたんですけどね。(笑)
 そういうときにパリのレストランの話があった。いつかは料理の仕事をやってみたいと思っていたので、すぐにのりました。パリ・五月革命のあとです。フレンチを極めるとかではなく、パリを知りたいという気が強かった。食べものなら中華だと思っていたので、当時、渋谷の恋文横丁の人気店、麗郷で1年間修業しました。
結婚して3年目、妻を伴ってパリへ乗り込んだんですが、行ってみて驚いた。オペラ座近くのラーメン店を買うことになっていたんですが、その話はすでに消えていて、ルクサンブルの元ポーランド料理店へ連れて行かれた。この差はとんでもなく大きいことが、実はまだよく分かっていなかった。オペラ座なら観光客相手の商売ですが、ルクサンブルは地元の客を相手にしなければやっていけない。しかも気がつけば、隣が「天下楽園」というパリで30年の本格的な中華料理店だったんです。アチャーですよ。(笑)とにかく店の改装を始めたんですが、フランスの工事は聞きしにまさるのんびりさで、1ヶ月掛かった。地下のカーブにサンテミリオンなど結構なワインが山になっていたが、オープンまでにすっかり飲んじゃった。(笑)ワインに気を取られてそこに決めたんじゃないけど、営業権は2千万円でした。
 店の名は、ゴダールの映画にちなんで「東風」と付けました。メニューは、レバニラ炒めとか、ショーガ焼きとかですよ。開店してすぐ隣の有名なシェフがやってきて、とても見てられない、と教えてくれるんですよ。そんなんでよく店をやれるねって。中国人も親切なのがいるんです。そんなわけで、ショーガ焼きは3日でひっこめて、天ぷらや寿司など出しました。パリの日本料理店に勉強に通いながらです。
 木澤さんは現在59才。60年−70年安保問題のど真ん中で青春時代を過ごした。小田実の「何でも見てやろう−1日1ドル世界旅行」や小沢征爾のスクーター音楽修業が話題だった時代は過ぎていた。パリは木澤さんにとって、五月革命のパリだった。
 赤瀬川原平も来てサインを置いていったというルクサンブルの店は、黒字だったが、6年後帰国。パリ行きの前に修業した「麗郷」に戻った。39才だった。次回は、料理の基本、包丁について聞きます。
 

写真 木澤さんは、渋谷に通って20年。道玄坂の変遷を見てきた。
オリンパスE−510 ズイコーデジタル14−52ミリ 

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