第44回 写真集『山羊の肺 沖縄1968ー2005』が語る 5・15 沖縄復帰35周年
5月15日号
職業柄、筆者のところには、いろいろな雑誌、本、写真集が届く。連休の間に届いた写真集を広げてみていると、休みボケの脳味噌に強い刺激が来るのを感じた。19センチ四方の写真集としてはやや小振りの、モノクロの写真。被写体は決して美しいとは言えない風景や男たち、女たちだが、見ているうちに、その被写体から、逆にこちらが見られているような気がしてくるのである。「これは放っておけない」と、思った。
作者の平敷兼七さんについて、沖縄在住の写真家ということは知っていたが、名前だけで面識もなく、その仕事も詳しくは知らないでいた。不勉強を恥じるしかない。案内文を読むと、平敷さんは1948年沖縄今帰仁村上運天(なきじんそんかみうんてん)生まれ、沖縄工業高校デザイン科、東京写真大学などで学び、「沖縄の〈日本復帰〉と前後して作品を発表し始め、米軍占領下から現在までの沖縄の戦後を、沖縄で生活するひとりの人間として撮り続けてきた」という。さらに読み進めると、「同時代を共に生き、被写体となった人々は、静かに見るものを見返します」と書いてあるではないか。
 これを書いたのは誰だろう。ちらしのアドレスを頼りに、平敷兼七写真集刊行委員会・代表の中條朝(はじめ)氏に電話をしてみた。
 待ち合わせのファミレスに現れたのは、まだ若い学生だった。1983年東京生まれ、24才。東京経済大学休学中だという。3年の時に休学して1年間ほど、主に日本がかって侵略した東アジアを中心に世界を旅して歩いた。その後、NHKの番組製作の手伝いで沖縄へ行ったとき、現地側の案内兼運転手のおじさんと知り合う。「自分と同じ雑用係だったが、面白い人だと思った」。しばらくして、「おまえ、うちへ飲みにこないか」と誘われて、米軍基地キャンプキンザーの向いにある仕事場兼自宅へ行き、「ネガフイルムや酒瓶、埃をかぶった本などが所狭しと並び、部屋の隅には手作りの暗室」を見て、初めて「写真を撮る人だと分かった」。
このとき中條くんが見たのは、写真集「沖縄を救った女性達」(1996年自費出版)。平敷さんが、基地周辺の売春宿に通って撮り続けた労作である。このとき中條くんは、被写体の女性達が静かに見返してくるビジュアル・ショックを受けたのだ。そして「平敷さんの集大成の写真集を作りたい」と思った。
 現代の若者はやる気がないとか、偉くなりたくないとか批判されているが、偉いと言うことはどういうことか。いまの若者こそ、やるときゃなかなかやるんである。
 2年後、「山羊の肺」が完成した。このタイトルの意味はどこにも説明がないが、本文38ページにそのカットがある。沖縄の人にとって山羊は大切な生き物である。山羊の乳で泡盛を割ると特に美味しいそうである。
 この5月15日に、沖縄は復帰35周年を迎える。今年は終戦から61年、憲法制定より60周年目で、改訂を巡ってかまびすしいが、沖縄は35周年である。この25年の差の重さを思う。

写真 平敷兼七写真集刊行委員会・代表の中條朝(はじめ)さん。

オリンパスEー500 ズイコーデジタル24‐54ミリ

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