第36回 大きく豊かな国を希って 幸せを招く女たち
1月10日号
明けましておめでとうございます
 今年もよろしくおねがいします。
 2007年の新年のごあいさつは、昨年に続いて沖縄・八重山・西表島からお祝いをお届けしようと思います。
かって、沖縄は琉球という名の小王国でした。1609年、徳川幕府の薩摩軍に侵略されてから、中国と日本の2国に従属する国となりました。そして薩摩藩の過酷な税の取り立てによって、人々は苦しい生活を強いられることになりました。1637年より始まった人頭税は、男は米、女は上布による年貢を強要するものでした。
 沖縄の先に連なる八重山諸島でも、条件は同じでした。荒海に囲まれて、最近までも、台風が来れば1ヶ月も孤立する小さな島々で、元々暮らしが楽ではないところへ、あまりにも過酷すぎる課税でした。
以前、竹富島を訪れたとき、この島が隆起サンゴ礁で出来ていて土というものがない、水も天水に頼っていることを知って愕然となったことを思い出します。土も水もない島の住民に、お米を納めろと言うのです。竹富島の男たちは集団で水の豊富な西表島へお米を作りに行きます。西表はその当時マラリアの巣でした。男たちは蚊に刺され、ばたばたと死んでいきました。
 宮古島には、港近くに「賦計り石」という1.5メートほどの石があり、観光客が背の高さを較べています。子供が15才になりこの石の高さになると人頭税を課せられたのです。与那国島では、クラブバリの石とトゥンダグの畠が観光客を驚かせます。女たちは妊娠するとクラブバリ石の割れ目を飛んで流産を願いました。また、島じゅうの男たちを狭いトゥンダグの畠に集め、はみ出したものを殺したといいます。人口調節のためでした。人頭税は1902年までの長い間続きました。
 八重山には、島の若者たちが、海の向こうに豊かな理想郷バイ・ドナン島があると信じて、当てもなく船を漕ぎだした話がいくつもあります。
こんな背景を知って、いま西表島の新年行事のシチで、島の女たちが、一斉に海に向かって手を振っているのをみていると、胸に迫るものがあります。海の向こうにはミリク神の住むニライカナイがあって、大きく豊かなユ(世)をくれるのです。
 新しい年も、較差が拡大し、税負担が増え、庶民には暮らしにくい年になるのでしょうか。
 八重山の女たちのように、みなで豊かなユを招きよせようではありませんか。

写真 干立の前の浜で。シチは毎年旧暦8,9月の己亥(つちのとい)に西表の祖納と干立の2つの村で行われる。国の重要無形文化財に指定されている。
オリンパスE-1 ズイコーデジタル  50ー200ミリ

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