第34回 平安な世界を想像してみよう ジョン・レノン「イマジン」を聴きながら
12月10日号
12月8日は、もちろん太平洋戦争開戦の日である。しかし、もう一つ忘れられないのは、ジョン・レノンが銃弾に倒れた日だということだ。この日を記憶しているのは、ビートルズ世代と、それに続く団塊の世代だけではない。
 12月を迎えると、TVやラジオや、どこからかかともなく、優しさと哀愁の入り交じった独特な曲が流れてくる。その曲は「イマジン−想像してごらん」から始まる。・・・「想像してごらん、みんなが今日この日を生きているところを」。
 ビートルズ・ファンでなくても、たいていはこの曲を知っている。平和へのあこがれと、反戦の柔らかな意志が込められている。しなやかでソフトだからこそ、強いメッセージとなっている。日本では特に開戦の日とジョン・レノン=ビートルズへのオマージュとして、心が揺さぶられるのだろう。
 この曲は、1971年6月、ロンドンのジョンの自宅のスタジオで録音された(発売は9月)。この年、アメリカはベトナム戦争の文字どうり泥沼の中にいた。米軍の死者は5万八千人に達した。(ベトナム人の死者は南北民間人を含め八十万以上といわれる)。兵士は麻薬中毒で戦線からはずれ、アメリカ国内でも反戦運動が各地で広がっていた。
 「イマジン」より前、ジョンとオノ・ヨーコは、有名な「ベッド・イン」で、反戦を訴えた。「君が望めば戦争は終わる」とのメッセージだった。それに続いて、「イマジン」は生まれた。
当時は、ベトナムで傷ついた人たちを癒す効果もあった、といわれる。
しかし、「イマジン」が本当に有名になり、世紀を越えて歌い続けられ、聴き続けられる曲となったのは、30年あとのことだ。
2001年9月11日、NYの貿易センタービル爆破のあと、アメリカでは一挙に国家主義の気運が広がったといわれる。星条旗の売り上げが急に跳ね上がり、イラク攻撃の支持も90%に達した。アメリカの大手ラジオ局のネットワークでは、放送に不適当な曲150曲がリストアップされた。「イマジン」も入っていた。
 9月21日、ニューヨークで追悼集会が開かれた。そのとき、コウボーイ・ハットのニール・ヤングが、禁止曲「イマジン」を熱唱した。
9月23日、新聞の全面に1行の文字だけの広告が人々の目を引いた。そのたった1行の文字は、「想像してごらん。みんなが平和に暮らしているところを」 だった。オノ・ヨーコさんが出した広告だった。
街のあちこちで、演奏するストリート・ミュージシャンが増えた。ラジオ局へもリクエストが殺到した。酒場ではみんなが一斉に「想像してごらん、死んだり殺したりすることもない・・・」と歌った。いまアメリカはイラクの泥沼いや砂漠の砂嵐の中にいる。

写真上 ニューヨークの冬。
ミノルタ・ディマージュ A
写真下 ジョン・レノン「イマジン」のLPレコード

close
mail ishiguro kenji