第32回  獅子たちよ!涙のままで振りかえれ 沸騰の時代のスターたち 1968年ブームを探る 
11月10日号
 1960ー70年代を「沸騰の時代」と名付ける人がいます。沸点に達したのは、60年の安保強行採決、樺美智子さんの死だと思われます。
ビートルズがデビューした61年には、ベルリンの壁が構築された。
62年、マリリン・モンローの死。寺山修司脚本、篠田正浩監督「涙を獅子のたて髪に」主演は加賀まりこ・藤木孝。
64年、東京オリンピック。新幹線が開業。赤瀬川源平の千円札模造事件。
67年、中国では文化革命。寺山修司は「天井桟敷」を結成。篠田正浩は独立プロ「表現社」を設立。今村昌平監督「人間蒸発」。撮影を担当しました。
もっとも温度が高かったのが1968年だと思います。2月金嬉老事件、三里塚闘争。
3月から5月に掛けてパリ5月革命。時を同じく東大闘争、全学部無期限スト、安田講堂占拠。8月ソ連プラハ侵入。10月新宿動乱、連続射殺魔事件「無知の涙」。12月3億円強奪事件。
 動乱だけではありません。4月には、36階の霞が関ビルが完成。8月には初の心臓移植が話題になりました。
その間に、10月川端康成ノーベル文学賞。つげ義春は「ゲンセンカン主人」「ねじ式」を、唐十郎は「由井正雪」、丸山明宏は「黒蜥蜴」、別役実は「マッチ売りの少女」で第13回岸田戯曲賞、寺山修司は「書を捨てて街へ出よう」。
 そして藤純子の「緋牡丹博徒」です。このころ、ぼくはひっきりなしに京都・東映撮影所へ通いました。「アサヒグラフ」などの仕事のほかに、『健と純子展』(池袋西武デパート)の準備もありました。アサヒカメラで「若き獅子たち」の連載を始めたのもこの年でした。
 こんど、この沸騰の時代を背負った、かかえ込んだ、戦った、傷ついた若き獅子たちの肖像を並べることになりました。写真集と写真展を開くため、いま連日徹夜体制で制作中です。
いま、なぜ1960−70年ブームなのか。それは、いまが恐ろしくフラットな時代だから、というのが定説のようです。実際、このころ青年時代を送った団塊世代の人と、懐かしさだけではない、20ー30代の若い人たちが一種のあこがれがあるのでしょうか、この時代について実に詳しい。撮影した本人の知らないことまで知っているのにはあきれます。

写真集「沸騰時代の肖像ーPortraits of the 60s」(文遊社刊)の編集で、仕事場はごった返している。写真展はオリンパス・ギャラリー(tel03-3292-1934)で11月30日より12月6日まで(日曜休)。

オリンパスEー330 ズイコーデジタル14-54ミリ

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