第31回  詩人の耳を通してきこえるもの。 映画・『島ノ唄』の吉増剛造
10月25日号
「不思議なもの、分からないものって、興味ありますよね」と、島ノ唄を監督した伊藤憲さんは、ポレポレ座の上映前の舞台挨拶で語り始めた。「吉増さんの背中を追って、結局4年にわたって南の島を旅しました。それはあまりにも吉増さんが分からなかったから。不思議すぎたからです」
 満員の客席がざわついたのは、大かたの人が同じ思いだった・・世の中に分からないものは数多いけれど、吉増さんの詩はその代表といっていい、と思っていたからに違いない。その日映画を見に来た人たちも、「分からないもの見たさ」だったのかも知れない。
 吉増さんといえば、世界的な詩人ということだけは皆知っている。1939年東京福生の生まれ。慶大国文科卒。62年、現代詩誌「ドラムカン」を創刊。以来、先鋭的に現代詩の先端を疾走する。その作品は、「原初の宇宙感覚と地球的な胎内感覚」に満ち、「言葉の原初を探る」と言われる。詩集「黄金詩篇」で高見順賞(70年)「オリシス石の神」で現代詩花椿賞(84年)「螺旋歌」で詩歌文学館賞(90年)と、1作ごとに評価され、話題を呼ぶ詩人なのだ。
 ここで自慢話を一つ。詩集「花火の家の入口で」(青土社01年)の中の「手紙」という詩の中に、
「島語、1/3丘語で"こっそり"、"心"をお届けします 
    ーーー石黒健治さんのphot?のように」
 という詩句があるのです。これって家宝なんです。
島ノ唄の前に、2004年に発表された詩集『ごろごろ』(毎日新聞社刊)を見てみよう。見返しに奄美から沖縄への列島の地図があり、自筆の書き込みで埋め尽くされている。ひときわ大きく、「この図に春ノ詩ノ汐ノ穴行程図と名付けましょうか。・・もっともっと細(こま)かに綴って行くと、シマ(島)の宇宙図になって行くのでしょうか?」とある。吉増さんにとって南海の島々は、まさに宇宙的な広がりを持っているのだろう。「島は私たちの心の舟、海は島と島の間の庭、魂の共振する場所」だという。
映画は、肩からカメラを下げ、左手には大きな手提げの紙袋を持ち、島々を巡る詩人を追う。海を背にしたサトウキビ畑に三線(しん)の音が響き、踊り出す男。三線を弾いているのはハブにかまれて片足が不自由な老人、里英吉さんだ。そして歌う唄は美しい愛の唄だ。
「我ガヌガ愛シル人ヤ、アン雲ノ下ヌシマ…(愛した人は、あの雲の下でどうしているだろう)」
 吉増さんは、この里さんを詩に書き、朗読する。
「光の落ち葉、二つ三つ、
 天の窓から落ちてくる…」
詩人は僕たちに代わって、僕たちには聞こえない音、見えない光を特別なアンテナでキャッチして、宇宙の言葉を伝えるラジオなんだ、と考えると、分からないのは当たり前、何かを感じとれば良いことに気づく。
ところで、詩人が足元の危ない洞窟を降りるときも、カメラを構えて撮影するときも離さないあの手提げの紙袋は何なのか?
「じゃまではありませんか。カメラマンとしてはイライラします」
「あれはとてもじゃまなんです。しかし、あの中には詩を書くためのすべての準備が整っているんです。資料も辞書も。ぼくにとっては移動図書館なんです。いつでもどこでも詩を書けるように」
 22日、第19回東京国際映画祭が開幕した。華々しく賑わう渋谷の片隅で、こんな珠玉のようなドキュメント映画も上映されているのだ。

写真上 トークショーの吉増剛造さん。(東中野「ポレポレ座」にて)現在『島ノ唄』は渋谷のアップリンク(tel:6825-5502)で、毎日11時よりモーニングショー、木曜日21時よりレイトショーで観ることが出来る。
写真下 マリリア夫人と。

オリンパスEー330 ズイコーデジタル50ー200ミリ

close
mail ishiguro kenji