第27回 超水族館「海中写真2万7千時間の旅」 中村征夫写真展
8月25日号
 メキシコで、コククジラの撮影をしているときだった。一しょに潜っていたディレクターが子クジラに触ってしまった。母クジラは子供をかばって、胸ひれを大きく振った。母クジラは全長15メートルほど、胸ひれも5メートルはある。ディレクターは無事だったが、あおりを食ってはたかれた中村さんは、足にダメージを受けて入院するはめになった。25年前、中村さんが35才の時だった。「いまでも正座が出来ません」と中村さんは語る。
 25年たった昨年の8月、トンガでクジラの撮影をしていた時だ。大勢のカメラマンが待ちかまえる海に、クジラの親子が浮上してきた。生まれたばかりの子クジラをつれた15メートルのザトウクジラだ。エスコートのオスも従っている。カメラマンの一人が誤って母クジラの進行方向を無理にさえぎってしまった。カメラマンは逃げようとするが、クジラは早い。「やられる!」と中村さんは思った。そのとき、母クジラは胸ひれを上に持ち上げて、カメラマンを完全に避けきってから水を打った。皆が無事だった。
 いま、僕たちはこのときのクジラの親子に、遭うことが出来る。東京都写真美術館の壁いっぱいの、実物大の写真としてである。(東京都写真美術館9月18日まで) 写真展は、驚きの連続だ。エジプト・紅海のメガネモチノウオ(通称ナポレオン)やマレーシアのカンムリブダイの前では思わず笑ってしまうし、パラオのドクウツボのペアの前ではすっかり和んでしまう。沖縄・座間味島のトゲダルマガレイやマレーシアのカミソリウオの擬態の巧みさには目が点になってしまう。ウミウシたちの絢爛を競うような色使い。ミカドウミウシの卵やオオシャコガイの放精の写真はオーロラを見るようだ。最近の水族館はいろいろ工夫を凝らして、海の生きものをたっぷり見せてくれるのだが、中村さんの写真展では、どんな水族館でも見ることの出来ない世界中76カ国の海の不思議さ美しさ、そして厳しさを見ることが出来る。「全・東京湾」のコーナーを見てみよう。
ある時、東京湾の作業ダイバーから「きれいな珊瑚礁ばかり撮っていいなあ」といわれた中村さんは、「それじゃあ、世界でいちばん汚い東京湾を撮ってやろうじゃないか」と始めた仕事だった。水中の事故の取材もする報道カメラマンの血が騒いだのだろう。
東京湾の写真は、はっきり言って美しくない。ここだけくすんだいやな世界だ。 空き缶に住むチチブ(ハゼの仲間)、マハゼの内蔵を歯舌でかじリとるアラムシロガイ、死んでいくタイワンアザミ。ここはもう生存競争だけがむき出しの荒廃した戦場だ。
「ぼくのテーマは、あくまで〈人間との関わり〉なんです。いま、海や自然はこんな状態になっていますよ、ということをカメラを通して正しく伝えていくのがぼくの義務かなと思っているんです」。中村ワールドを〈超水族館〉と名づけるゆえんである。

写真  実物大のザトウクジラの親子の写真の前で。中村征夫写真展「海中2万7000時間の旅」は、連日夏休みの子供たちでにぎわっている。(東京都写真美術館はJR恵比寿駅下車。Tel.03-3280-0099)

オリンパスEー330 ズイコーデジタル11-22ミリ

close
mail ishiguro kenji