第26回 心と魂について考えよう 盆帰りの季節に
8月10日号
昭和天皇の靖国神社のA級戦犯合祀に関するお気持ちのメモが公にされて、アメリカでプレスリーを歌って帰国した首相は「その人の心の問題ですから」と語りました。  心とは何か。心の満足が得られれば人はすべて良しなのか。以前、加賀乙彦先生に尋ねたことがあります。加賀先生は、谷崎潤一郎賞、大佛次郎賞のほか、「永遠の都」で芸術選奨文部大臣賞を受賞した作家で、カトリック教徒でもあります。
「キリスト教で、心の貧しきものは幸いなり、といいます。心を豊かにしなさいといういまの教育方針と真っ向から反対する言葉です。いくら心を豊かにしても、人間は救われてはいかない、というのがぼくの考え方です。心というのは人間の精神、心理を動かすものだけれど、それを支えているものこそ魂だと思っています。現代にもっとも欠けているのが魂の問題です」そして、「魂を死と置き換えてもいいんです。宗教というのは、魂に関わるものです」と先生は言われました。
 合祀だとか分祀だとか、これは魂の問題だとすれば、政治家が絡めるわけがないのは明らかでしょう。死者に優劣がないとするのは「罪悪深重、煩悩熾盛の衆生を助けんがための願」であり「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」(歎異抄)という仏教(浄土真宗)でも同じと考えられます。
尊敬する友人の河上朋弘師にききました。師は富山市琳空山慶集寺の若い住職です。
「仏教の始祖であるゴータマ・シッダルタは自身の骨はガンガー河に流すようにと遺言され、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人は、自身の遺体は加茂川の魚の餌にするようにと遺言されたと伝えられています。葬儀や法要、墓碑、位牌などは、すべて残されたもののためのものでしかありません」。ここで少し意地悪な質問をしてみました。
もし河上師のお寺でA級戦犯を合祀する事になったらどうするか?
「もし遺骨、位牌を自坊でお預かりすることがあれば、これをひとつのご縁といただき、ただ仏教を説く機会とさせていただきます。仏教は心の平和の教えなので、戦争がいかに不毛であるか、仏教徒であることを自覚する限り、いかなる戦争にも絶対の否を唱えなければいけないと思っています」
8月15日は終戦記念日ですが、それよりずーっと昔から日本ではお盆(盂蘭盆会)でした。斉明3年(657年)から始まっているそうです。難しい宗教上の解釈は置くとしてこの日は年に一度祖先の霊を祀る日です。庶民感覚で言えば亡くなった人を偲び、死を思う日です。時代は変わりましたが、お盆休みをふるさとの墓参りに出かける人は圧倒的に多いのです。交通渋滞を覚悟の上で、夏休みに帰る若ものたちにエールをおくりつつ・・・。(一部、雑誌「蘇る!」1998年10月号 を参考にしました)

写真  靖国神社遊就館は、日本最初の軍事博物館として明治15年に開館した。なぜか、外人の見学者が多い。

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