第23回 渋谷センター街の動く銅像 突き刺せ!ジミーさん
6月25日号
ジミーさんて、だれ? 
 5月10・25日合併号で、「AKB48」に応募する女の子の相談相手になっているジミーさんの話を書いたところ「ジミーさんて誰?」と何人かに聞かれた。ジミーさんはニュース23+のドキュメンタリー番組でたっぷり取り上げられたから(昨年9月)ご存知の方も多いはずだが、改めてご紹介しよう。
 昼の渋谷センター街。雨が降らない限り、毎日女子中高生の人だかりがある。その中心にはさぞかし若いきれいなタレント? と思いがちだが、残念、中年を過ぎた太ったオジさんではないか。
 彼女たちは、アイドルの誰かがここを通ったとか、ブログがどうしたとか、(ジミーさんのブログhttp://jimmy.relax.lolipop.jp/には1日1万5千のアクセスがあるという。)プリクラはどうかとか、(ジミーさんは5万人のプリクラを持っていて写真集を作ったこともある。)たわいもない話で笑いあっているが、実はそのなかに女の子の本音のぎりぎりの悩みが隠されているのだった。人だかりが解けて少人数になったとき、女の子もジミーさんも真剣な顔になる。
「ダイエットしたいとか、彼氏に逃げられたとかから始まって、家出してきたとか、リストカットをしたとか、麻薬をやり始めたとか、親にも誰にも言えないことをうち明けてくる。いまの親は子供のいうことを聞かないでいきなり殴りつけてしまう。
しっかり聞いてあげれば、彼女たちは心を開くんです」
ジミーさんは毎朝石神井の自宅から45分をかけて渋谷へやってくる。ロッカーから荷物を出し、先ず掃除。
「掃除は基本。ぼくはそうり大臣は無理だけど現役のそうじ大臣だから」と笑う。こんな後ろ姿を女の子たちは見ているのか。
 1953年北海道生れ。高校卒業後コンピュータ専門学校に通う。その後、札幌の大きな酒屋に18年勤務したが、突然リストラされる。当時、ロックバンド〈ケースバイケース〉のボーカルとして音楽活動も続けていたので、これを機に東京で本格的にバンドをやろうと呼びかけたが誰もついてこなかった。結局ひとりで上京。しかし食べるために警備員などやりながら夢だった渋谷の街を徘徊する毎日が続いた。そしてある日、パフォーマンスをやるためにセンター街に立った。
「最初は目立つためにくるくる回っていたので、くるくるおじさんと呼ばれた。〈プリクラ新聞〉を作って100円で売ったらたちまち評判になった。何しろ多いときは50万 にもなった」しかし、女の子の写真と携帯の番号が入っていたので、悪用されるようになり、中止したという。
 そして12年、いつの間にか女子中高生の頼れるおじさんになっていた。
 最初の1年は立っているだけで警察から不審尋問されたり、ヤクザには因縁をつけられ、店からは苦情が出た。不良少年のグループに殴られたり、車でひき殺されそうにもなった。
「もう命がけよ。最近も、毎日渋谷にいるから売人の居所を知っているだろうと脅された」
 しかし12年立ち続けたいまでは警察からも1目置かれ、お店も掃除に協力してくれるようになった。
ジミーさんはいまでもれっきとしたボーカリストである。ある時、ジミーさん自作の歌を聴いたことがある。

  ガラスの夢
  おまえの涙に
  積み重なる
  さんさんと
  突キ刺サル!
  突キ刺サル!
  オーイエー

  すれ違う人々
  俺は他人だが
  おまえらの頭の中、
  どうかしてることぐらい
  分かってるさ
  突キ刺サル!
  突キ刺サル!
  オーイエー

 心に響く声と素晴らしいパフォーマンスだった。CDデビューの話もあるという。夢が実現に向かっている。そして、
「若い子たちが待ち合わせて行く方向を決める、ハチ公の銅像のような存在になりたい」 ジミーさんのもう1つの希望である。

写真 「渋谷の動く銅像になりたい」というジミーさん
オリンパスEー330 ズイコーデジタル11-22ミリ

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