第19回 メルヘンは絵の中へ移転か?  どうなる? 国立のシンボル
4月10日号
 4月1日。満開の桜にふち取られた幅44メートルの大学通りは、多勢の花見客で賑わっていた。都内でも屈指の桜並木の名所だが、今年の混雑はもう一つ、国立のシンボルとして親しまれてきた三角屋根の駅舎が、建設80周年を迎える今年、解体撤去されそうだという話題が加わった。
「国立駅開業80周年をお祝いする会」では駅舎見学会や写真展、ハッピーバースディコンサートなどを開催、4月1日未明には一斉に駅舎の掃除を行った。祝う会には国立市、国分寺市教育委員会をはじめ、桐朋学園、如水会、国立駅タクシー協議会や個人商店など多数が後援、協賛している。官民挙げて三角屋根の誕生日をお祝いしているわけで、同時に駅舎保存を願っているのだ。(2003年の桜祭りのアンケートではほぼ90%が解体に反対している)。
国立は、箱根土地(後のコクド)が茫漠とした雑木林を開発してできた街だ。当時不便きわまりない場所を売り出すアイデアは先ず文化。町の中心に東京商科大学(現一橋大学)、国立音楽大学(現在は付属高校)を誘致した。
 国立駅は大正15年4月1日に誓願駅として開業した。駅舎はメルヘンチックな赤い三角屋根。箱根から引っ越してきたおもむきもある。ここを町の起点として3本の幹線道路が放射状にのびる。中央の大学通りには桜といちょうの木を交互に植え、春は桜色の並木道が、秋には金色に染まる工夫をした。文化にふさわしい景観と環境ができた。
こんな町を大事にしない人はいない。1999年から始まった高層マンション問題は、一審で20m以上を取り壊せという画期的な判決が出たが、今年、最高裁で景観は大切といいながら原告敗訴が決定した。そんな流れの中の住民の願いのシンボルがこの三角屋根なのかも知れない。
 駅舎撤去の話は、JR中央線三鷹ー立川間の連続立体交差工事にともなって浮上。国立市議会は駅舎保存の陳情を全会一致で裁決した。JRは「どうぞご自由に。ただし費用はそちら持ち」とクールな対応。市は駅前の整備も視野に入れて、ロータリー中央に一時移転し、工事終了後に現在に近い場所に戻して永久保存する計画を立てた。しかしこのための予算案(六千万円)が昨年12月の市議会で否決された。駅舎を元へ戻すときの土地確保に5、6億が必要ではないか、などが否決の理由とされる。議会少数派の市長は立ち往生、野党はこれを機に政治問題に発展させたい思惑もないではないという。駅前の整備についても、複数の商店会がビッグストア反対だの一体開発すべきだの我田引水の案を披露。バス会社、タクシー会社の権利関係、その乗降場所を巡って銀行の争い、ととんだ人間模様を描き始めた。
街の創成に関わった一橋大学の卒業生で作る如水会(社団法人)も、その景観は国立市民のみでなく、卒業生一同の誇りであり心のふるさととなっている、と駅舎保存を強く求める要望書を上原市長に提出した。利害関係を捨てて、保存という共通の願いに集まろうということらしい。

写真上 メルヘンは絵の中へ移転か? (大学通りで絵を描いていた松田信三さんはいわき市在住だが、娘さんがこの町にお住まいだ)

写真下 駅舎の三角屋根の頂点は、大学通りのセンターラインから少し右にずれている。屋根の稜線も左右が違っているのは、駅前からのびる放射線状の旭通り、富士見通りに照合しているという。

オリンパスE-330 ズイコーデジタル14-54ミリ

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