第14回   キルトは愛のハギ合わせ
1月25日号
わが家の押入の隅に、古布のツギハギで作った座布団とお手玉がある。いずれもぼくの実家に里帰りをしたとき祖母からもらったものだ。子供たちは小豆を入れた手縫いの小さな袋をつまんで、不可解な顔をしていた。遊び方が分からないのだ。座布団は持って帰ったものの来客に出すのはちょっと気が引けた。祖母は老いてからの手すさびに、大量の座布団とお手玉を作った。家人はハギレの調達に困ったほどだ。それらは子供や孫たちに渡り、どの家でも、多分押入れにずっと押し込まれたままになっていると思われる。
「日本のハギは祈りの文化でもありました」と語るのはキルト作家の嶺井寿美子さんである。「お坊さんは檀家からもらったハギレで袈裟を作りましたが、これを糞掃衣(ふんぞうえ)と言います。また子供が丈夫に育って欲しいという親の願いから、健康に育った子供から端切れをたくさん貰ってきて、つなぎ合わせて着せるという親の愛情のこもった着物もあります。秋田の西馬音内盆踊りでは、ハイだ着物を着て踊り、豊作祈願や先祖供養をします」
 ハギの文化は世界各国にあった。
 1620年11月、イギリスからの102名の移民を乗せたメイフラワー号が 65日の航海でアメリカへ到着した。最初の冬に、半数が寒さと飢えでなくなった。生きるため彼らは家を建て、作物を栽培し、衣服を作らなければならなかった。大切な布の小さな切れ端を集めてキルトが作られた。
 アメリカン・パッチワークは、綿の表と裏をハギレの布で挟んで縫ったものがはじまりで、貧しさの象徴とも言えるだろう。
「戦いに行く男たちは、母や妻の縫ったキルトをかついで出ていき、戦場での寒さをしのぎ、死んだときはキルトに覆われて帰ってきたのです」
嶺井さんの話をきいた日、ぼくは押入から祖母の贈り物を引っ張り出した。手縫いのハギの座布団は、とても上等とは言えないが、どんな来客にでも少し自慢して使ってもらおうと思う。
 さて、キルトはいまでは生活の具からアートとして見直されている。日本でも20年前からアートとしてのキルトが盛んになった。山口百恵さんもキルターとして登場した。NHKが募集したときは8000枚の応募があって主催者を驚かせた。
いま、東京国際キルトフェスティバルが開かれている。日本キルト大賞の応募のうちの300点、英国の19世紀の貴重なキルトなどが展示されている。(東京ドームで、28日まで)

写真上 「ハギは祈りの文化です」と語るキルト作家の嶺井壽美子さん

写真下 ハワイアンキルトのキャッシー中島さん

コニカミノルタα-7digital AF DT zoom 18-70mm

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