第11回  男たちの大和 キレイ名青春・死に方用意の光と影
12月8日号
 12月8日は何の日かと問うと、ジョン・レノンの命日と答える人が多いそうである。太平洋戦争の開戦の日は忘れ去られてしまいそうだ。しかし、今年は終戦60年の節目なので、マスコミも戦争についての企画をいろいろ用意している。その中でも、特別に巨大な企画が、映画「男たちの大和」だろう。
 戦艦大和は1941年12月16日、広島県呉市の海軍工廠で極秘のうちに完成した。真珠湾攻撃で戦争が始まった8日後ということになる。起工当初から、飛行機の時代に無用の長物という批判もあったが、大和は実に美しいフネで、当時の日本の最高の知能と技術の結晶だった。海軍の象徴であり、日本人の誇りであったという。
大和は初出撃のミッドウエイ海戦でなすところなく敗退。〈無用の長物〉ぶりを証明した。このときから日本は敗戦の泥沼に落ち込んでしまうのである。
1945年4月5日、大和に水上特攻の指令が下る。特攻とは自爆攻撃のことと知れば、いったい当時の軍部の命令は正気の沙汰だったのかと疑いたくなる。
 翌6日沖縄に向けて出航。7日、東シナ海沖でアメリカ航空機部隊の総攻撃を受け、沈没した。 乗組員3300名、死亡3000名余り。4ヶ月あと、日本は無条件降伏した。
映画「男たちの大和」は、大和と共に死んでいった若者たちの肖像を、鎮魂の思いを込めるかのように丁寧に描いていく。彼らの思いは、妻や恋人、家族と国を守ること。死んでいったもの、生き残ったもの、その思いの切なさとキレイさが胸を打つ。 「大和が青春だった」と制作の角川春樹氏は語る。6億円をかけた幅40メートル、全長190メートル、艦橋の高さ15メートルの実物大の大和のセットを見に来た元水兵が甲板の上で子供のように走り回るのを見たとき、生存者の青春は大和で終わった、凍結してしまっていたんだと感じたという。甲板の片隅には「死に方用意」の文字も見える。
「大和は、女たちの大和でもありました。3300名の男たちと同じ数の女たちの思いも、大和にのっていたんです」と語るのはコ・プロデューサーの村上典吏子さんである。戦争について、死と生について、考えることが多すぎるくらいの映画だ。
試写室は立ち見が出る盛況で、あちこちですすり泣きが漏れる。あまりにもキレイな青春・・。確かにキレイ過ぎる。だが、たまにはキレイな青春に出会って、甘い涙を流したっていいじゃないか。

写真上 「大和は青春だった」と語る角川春樹プロデュサー。「戦艦大和には〈死に方用意〉とも書かれていた」12月17日より東映系でロードショー。
写真下 TV朝日のロビーに展示されている戦艦大和
コニカミノルタα-7digital AF DT zoom 18-70mm
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