第2回 広島〈奇跡の乳房〉
7月25日号
 その日は、空は抜けるように高く青く晴れ上がっていた。8時15分、ピカが来た。  30分もすると、雨が降ってきた。ピカに近いほど激しく、3キロ離れたところでは小雨だった。黒い雨だった。
 雨は死臭と脂と膿を土に流し込んだ。4日後、異常なハエの発生があり、広島市内は蛆と爛れた皮膚を垂れ下げた人間が這い回った。生き残ったものも長い間蛆にとりつかれた。 戦後広島ではたびたびハエの異常発生に悩まされたという。
僕が初めて広島を訪れたとき、原爆を浴びてから20年をすぎていたが、平和公園でも繁華街の金座でも、ふと焦げ臭い匂いを嗅いだ。原爆の影は空中に充満していると思った。いま60周年を迎えても、硝煙のような匂いは消えてはいない。
 広島の普通の主婦Sさんは、35才で被爆した。6人の子供のうち一人は大きな傷を負いながら生き続けたが、5人はゴザにくるまり無数の蛆の中で次々に死んでいった。Sさんの乳房も蛆が発生し形もなくなったが、10年のあと、妊娠し子供が産まれたとき、ケロイドの乳房に乳首が新しくできて母乳が出た。
僕は震えながら〈奇跡の乳房〉を撮った。
 命の不思議さに打たれていた。生きるかすかな希望が伝わってきた。
しかしこれだけは言っておかなくてはならない。南京大虐殺の犠牲者が30万人だったとか、そんなに多くないせいぜい3万人だとかかまびすしいが、1人でも虐殺、5人以上は大虐殺ではないのか。広島の犠牲者は23万7千人、長崎は13万4千500人。はっきり30万人を越えている。アメリカは60年間謝罪も反省もしていない。

〈奇跡の乳房〉Sさんは被爆して乳房の形もなくなったが、10年後子供が産まれたとき、ケロイドの乳房に乳首が新しくでき母乳が出た。
〈広島平和記念資料館にて〉外人の見学者も多い。
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