第10回 死と写真の回廊(2) 志賀理江子-1 「写真は生」
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《写真によって生け贄にされた人物や風景が、あの世に捧げたものを見よ。》
2008年度の木村伊兵衛賞を『リリー』と共に受賞した写真集『カナリア』の帯の文である。かなり昂揚した、思い詰めたようすだが、さっぱり意味がわからない。
志賀さんは自ら解説する。「・・・写真は明らかに生だという感覚です。(中略)シャッターを押した瞬間、押した者はその露光時間分の自らの生を対象に向かって、生け贄のように捧げる。その代わりに、向こうから送り返されてくるのは「この先」の生である。」(美術手帖2008年7月号)
「現実、実際、生は宙に浮いている状態ですが、死は必ず訪れるため一番実体がある。(中略)「写真は生」というのは、唯一言える確かなこと。そうでないと私がなぜ写真にこんなに執着しているか、自分でも説明がつかないからです。」(アサヒカメラ 2008年3月号)
死は一番実体がある、とは? 志賀流の自動筆記的な言動は多くの読者・関係者諸氏を幻惑させて、誰も意味不明だなどと言いい出さないのが不思議だ。だがしかし、『カナリア』と『リリー』は、写真も言葉も、おそらく志賀理江子の原点であることは確かだろう。ここで語られた「写真は生」のこだわりは、微妙に変化しながら、2019年の『人間の春』まで一貫している、ように見える。(つづく)
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