第3回 写真vs映像 恐ろしい夢を見た
4月号
東京都写真美術館・恵比寿映像祭ディレクター岡村恵子さん。 18枚のマルチ映像が、シャッターの一押し、1秒でできあがる。いま、カメラ界では連写機能の競争のようだ。カメラの機能が写真表現を変えていくことは紛れもない事実である。(使用カメラ:オリンパスEMD EM1 MarkU)

  去る2月9日、第9回恵比寿映像祭のオープニングに参加していたぼくは、気がつくとひとかたまりの人の群れに紛れ込んでいた。そのグループはプレス・ツアーだったらしく、書類を持った女性がガイド役で解説をしていた。
 ツアーの後ろからついて行くと、突然、「映像と写真は違います」と高らかに言い放つような声が耳を打った。
 記者からの質問に解説者が答えたのだろうが、ぼくには聞き捨てならないセリフだった。
 写真とは? 映像とは? この問いほど悩ましいものはない。いつも問いながら答えられない、答えが分からない、いや、答えなんて無い、あるはずがない、この苛立ちに似た通底音は、実は、【写真愛】の背景を流れるBGMかもしれないのだが。
 映像祭の公式パンフレットを開くと、巻頭に挨拶文とも巻頭宣言ともいえる一文がある。 『恵比寿映像祭では毎年のフェスティバルを通じて、「映像とは何か?」をめぐる様々な問いと答えを、繰り返し提示してきた。プレイヴェントとして行った「映像をめぐる7夜」から数えれば10年目となる今年・・・・・』
 執筆者は、あのプレス・ツアーを引率してきたディレクターの岡村恵子さんである。彼女は第1回から(2年間を除いて)ずっと映像祭のディレクターを務めてきたという。
 写真美術館の図書室で、過去の公式パンフレットを見てみた。岡村さんが担当したすべての回の巻頭文に全く同じ文言、『映像とは何か? を・・・・、』があった。リフレーンのように。もちろん書いたのは岡村さんだ。
 読んで、同じようなことを毎年考え続けて、毎年、映像とは? と呪文のように唱えている人がいることに、なぜかほっとした。大げさに言えば、立場は違うが同じ戦争を戦っている戦友を発見したような。
 その彼女が「映像と写真は違います」と言い切ったのだ。
 会って、話しを聞きたくなった。

『「映像」には直訳の英語が無くていつも困るんです』と、岡村さんはぼくを驚かせた。『「映像」とはじつは日本特有の言語なんです』。 彼女は、「映像」の語に「オルタナティヴ・ヴィジョン」を当てはめる。おそらくポップ・ミュージックの対義としてのオルタナティヴ・ミュージックからの援用だろうが、言い得て妙のネーミング、名訳だろう。
 日本語で「映像」といえば、彼女も別の対談で話している通り、写真はもちろん、テレビ、動画、映画、絵画、さらに頭に描いたイメージや夢に見る幻影も、みな映像だ。それらすべてのうち、ありていに言えば商業化した映像に対する代替アートの意味を「オルタナティヴ・ヴィジョン」に込めたのだろうか?
 写真と映像の違い、というとき、一般的で優等生的答えは「写真には時間が無いが、たった1秒でも時間が加われば映像となる」だろうか。
 これには異論があって、1枚の写真にもヨコの時間があり、それは観る人との対話の中にある、という。また別の言い方では、流れる時間にも踊り場があって、写真はまさに時間の踊り場である、という。
 確かに、通り過ぎようとした写真にふと呼び寄せられて、長い会話を交わす、あるいはただその前で立ち尽くすような写真も、あるのである。(そんな写真を1枚でも撮れたら死んでもいいと思っているカメラマンもいる。)
 しかし、岡村さんは違う。「映像的な見方は、ある作品が、1点だけで傑作だとかは決められない。場所、タイミング、見る方のコンディションが関係する」と。
 映像と写真の違いは、映像的見方と写真的見方、つまり見る側の違いのことだったのか。

 話は飛ぶが、いま、重い小説や映画は嫌われているそうだ。例えば今村昌平監督の「楢山節考」など、人間の存在を問い詰める作品は敬遠されて、小津安二郎風の小市民的な、ささやかな幸せを描いた作風が好まれる。それは世界的な風潮らしい。
 誰もが生き難い現代社会で、見て聴いて心が重くなるような作品は、ダサい。余計にくたびれる。「これ以上の精神的負担はご免だよ」という声が聞こえてくる。
 オルタナティブ・ヴィジョンは、この萎縮した精神へのこよなく優しい贈り物なのだろうか?
 岡村さんは、映像のことばの曖昧さを逆手にとって、『それ故の自由度をずっと大切にしてきた。』という。そして彼女は、あえて答えの無い問いを問い続けて、年ごとに、例えば第9回の今回は「マルチプルな未来」というテーマを掲げて、挑戦した。結果はどうあれ、挑戦こそ良し、と拍手をしたくなる。
『・・・いまやわたしたちは、かつてのサイエンスフィクションが描いた「未来」を生きている。「未来」は既にわたしたちの中でも起こっている。』と彼女は書く。そして、『芸術とは、問いと答えを問い続けることだ』と。

 その夜、ぼくは恐ろしい夢を見た。福島の双葉町海岸をさまよっているとき、瓦礫の中に光るものがあり、それはゴッホの自画像だった。拾って帰って、美術館の壁に掛けた。すると、自画像は18枚のマルチ映像の岡村さんになっていた。

close
mail ishiguro kenji